9月7日火曜日
めくるめく多忙な日々の中、出発の夜がきた。大きなトランクを伴い、「豊橋駅」23:00発東京行きの伊良湖ライナーに乗り込む。
二週間留守にするアパートの部屋は、炊事場まわりと洗濯物をやっつけ、冷蔵庫以外のプラグを抜いてきた。
「心道教前」から、パジャマにカーデガンを羽織ったあずささんが乗ってきた。明朝東京駅で着替えるつもりらしい。(笑)
後ろに空席をみつけて彼女は移動し、2人分の席を使って眠りについたが、大抵の夜行バスのごとく、寝心地はすこぶるよくなかった。
 
9月8日水曜日
5:45、
八重洲口到着。
駅構内のトイレで身支度。他にも人がいて狭いため、あずささんがみつけた30名用の方へ向かう。鏡張りの広いスペースがあり、洗面しやすい手洗いの作りで、しかも用を足す時には便器が喋るという丁寧すぎるトイレ。さすが東京駅と言うべきか。
トランクをコインロッカーに預けて京葉線に乗り、軽く朝食をとってからインターナショナル・ギフト・ショーへ。専用の送迎バスで会場に着き、「Cha−min」で受付を済ませ、首から提げるIDカードをもらった。
まだ9:30なため、開場の10:00を待つ。

相変わらずの大きな規模。新着商品と秋冬物の傾向を見て周る。
新しい取引先を見つけ、午前中で用を済ませてから、東京駅に戻って昼食をとった後、日暮里まで出て成田空港へ。

16:45、空港内の銀行で円をドルに両替。
ユナイテッド航空のカウンターへトランクを預けてから35番ゲートへ向かう。イミグレーションを抜け、コーチの免税ショップをちょっと覗き、18:25発UA837便バンコク行きに乗り込んだ(45分遅れで離陸)。5時間45分後にはタイにいるはず。時差は-2時間。機内食はパスタだった。(アメリカ系の航空会社のため、炭酸水は‘スプライト’ではなく‘7UP’)

タイ時刻22:30ドン・ムアン空港に到着。円をバーツに両替。
あずささんがいつも使うゲストハウスをメール予約してくれていたため、ふたりでタクシーに乗り、0:30にチェックイン。とてもスムーズな一日。

すでにダッカ行きのチケットはとれているので、明日はバングラデシュ大使館を探し、ビザを取得しに行かなければならない。
 
9月9日木曜日
7:00起床、8:00朝食。コーヒーとトーストとフルーツ。

バスで行けば安上がりだが、時間節約のためBTSに乗り、大使館を目指すことに。
螺旋階段をのぼり、高架上の駅の販売機でキップを買った。昨晩両替したてで細かいコインがなく、100B札をこわしてもらいに窓口へ。
一駅目で乗り換えて、タイ語の車内アナウンスを聞きながら、しばらく電車に揺られた。
最寄のBTS駅からさらにバスへの乗り換えが必要とのこと。交差点を左に曲がり、バス停を発見して1019バスに乗り込んだ。
ソイ(通り)25付近で釦を押してバスを下り、目印のブライダルショップを曲がると、ひっそりとバングラデシュのエンボシィがあった。
外観も内装もわりと質素な感じが、去年行ったカンボジア大使館と似ている。

入り口を入ると、応接用ソファと新聞の置かれたガラステーブルがあり、そのすぐ向こう側に布を被った大使と思しき女性が一人座っていた。女性が髪の毛を見せてはいけないのは、たしかイスラム教の教えだ。
ビザの申請をしたい旨を伝え、申請用紙をもらってソファに座り、ガラステーブルで記入を始めた。
Family name、Given nameをローマ字で記入し、パスポート番号や取得場所、期限等を記入するのは入国書類と同じ。けれど、父親の名前を書く欄があるのにはちょっとびっくりした。

パスポートと申請書、それから出国前撮ってきたビザ用写真を2枚くっつけて提出し、代わりに引換券をもらった。明日の15:30-16:30の間にとりに来いとのこと。
「それまでパスポートないんだね」とあずささんが言った。それもそうだ...その間、なに事もないことを願おう(^^;)

時計を見るとまだ9:30だ。行きと同じ赤いバスに乗り、とりあえず大通りまで出た。
帰りはバスに乗って、タイムズスクエアで下車。大きくてきれいなショッピングモールのエスカレーターを上り、代理店のオフィスでダッカ⇒カトマンズ⇒バンコクのチケットを受け取った。
これで一安心。今日すべきことは完了。後は仕入れができる状態。

プラトゥナムに向かい、いつものビルに寄った後、新しく建てられたデパートにも入ってみた。
テナントは少なく、閑散として活気がない。大丈夫なのかしら、ここ。と思いながら、食堂へ行き、食券を買ってお昼を食べた。

そこから歩いて行ける距離だったので、イセタンへ向かい、ビッグCでも買い物。

バスでゲストハウスに戻って休憩。

晩は近くの食堂へ行き、ふたりでフライドポークとタイ風オムレツ、カオパックンとシンハービールを注文した。
 
9月10日金曜日
7:00起床、8:00朝食。コーヒーとトーストとフルーツ。+昨日あずささんがビッグCで買った完熟マンゴー。
金平のときからマンゴーがとても好きになった私たち)
今日一番の仕事は、商店街のクリスマスイベントのために、クリスマス・デコレーションを仕入れに行くことだ。バングラデシュ大使館は方向が全く別だから、出先から一旦戻ってくるとして、所要に片道1時間はみていないとマズイだろう。

たぶん全世界共通であろう派手な中華街独特の門を旋回し(華僑は世界中にいる)バスを下りると、チャイナタウンが広がっていた。道路に面して漢字の看板や銀行ならぬ“金行”が多く見られる。
屋台、乾物、日用品、雑貨...相変わらずの商店の群れを抜け、大きな文房具店に入った。

ハローウィンのデコレーションで埋め尽くされた店は見かけるが、この時期にクリスマスのものなんて普通どこにもない。そんな中、去年のこの時期にひとりこの店のマダムに掛け合って、在庫と商品カタログを手にしたわれらが川上あずさ。
彼女の顔を憶えていたマダムは、店員の女の子に指示し、快く去年の在庫とカタログを出してきてくれた。
数あるダンボールの中から「これだ!」というパーツを選んで、全てを150ピースずつ注文すべく、カタログで照合しながら商品番号を書き抜く。予算内で下代、輸送費、関税と利を計算しながら作業は続いた。
帰国前日にとりに来るので商品をを取り寄せておいてくれるようマダムにお願いし、内金を入れて、その店を後にした。
他に何店かまわった後、お腹がペコペコだったので、ケンタでチキン・バーガーを食べてから、すぐにバスに乗った。時計は14:30をまわっている。すでに戻らなければ間に合わない時間だった。

BTSを降りて、昨日と同じ赤いバスに乗った。
引換券を花柄のレスポのバッグから取り出してみた。
ビザ取得に料金はいっさいかからない。
明後日はビーマンバングラデシュでダッカに向かう。水害の後には疫病が蔓延するらしい、この前の洪水は先月だったらしいから、もう大丈夫だとは思うのだが。

判子を押してもらったパスポートを受け取り、帰りはサイアムでバスを降りて、ソムタムと焼き鳥、カオニャオを買って家路についた。
 
9月11日曜日
ウィークエンドは定番のチャトゥチャ。バスを降りた付近に新しい地下鉄の駅が開通している。
天気はほどよい曇りで、体感温度も真夏ではないから比較的ラクだ。

12:30に時計台の下で会うことにして、お互い思い思いの方角へ向かった。
多いときは細い通路で身動きができないほどだけれど、今回は観光客やバイヤーが少ないのか、前回より日本人を多く見かけない。
広い敷地内に建てられたこのマーケットは、一日がかりでも全部を見てまわるのは無理で、ありとあらゆるものが売られている。
今回私は、バンコクの若手デザイナーのブースが多く集まるセクションを目指した。
例のごとく紙と鉛筆と計算機を取り出して価格交渉。ある程度買わないと卸値にはならないため、センスのよい店でまとめ買いしたいところだ。

あっと言う間にお昼になり、時計台から食堂のあるセクションへ向かう。
フライドチキンとソムタム、アイスティーを注文。ここのチキンは絶品だと思う。
プラトゥナムで仕入れた商品とチャトゥチャで買ったものをUPSのチャトゥチャック店へ持っていって預けた。あずささんの荷物はもう相当になっていて、すでに彼女は指定日までに全ての商品をカオサン店へ持って行ってくれるように頼んだらしい。
クリスマス・デコレも、カオサンのUPSから一気に送る。バングラやネパールで仕入れるものも、タイまで持って帰って一緒に送りたいが、持ち帰れる荷物に限度があるから果たしてどうなることやら。

午後の買い付けがスタートし、ふたりともまた、雑踏へと消えた。
 
9月12日曜日
昨夜のラーメン屋台で出された水が「水道水」だったか、おなかをひどくこわしてしまった。風邪が治りきっていないあずささんは、このところ朝晩によく咳をしている。

出発2時間前には空港に着いて搭乗手続きをしたいので、トランクを抱え、一旦ゲストハウスをチェックアウトしに、一階へ向かう。受付でネパールから戻る日の夜の予約をし、メータータクシーを拾ってドン・ムアン空港を目指した。
15:00、あずささんからもらった正露丸を気休めに飲み、荷物を預けて24番ゲートへ。
いよいよ未踏の地、バングラデシュだ。

滑走路の見えるガラスの壁の向こうに、雨が降り始めた。バンコクではずっと曇り勝ちだったが、雨には合わなかったので助かった。私たちが去るのを待って降り出したかのようだ。

ゲート付近の連なったベンチに座って待っていると、きれいなサルワール・カミューズを着たベンガル人であろう客室乗務員の女性がふたりと、制服を着た機長と思しき男性が、小さなスーツケースを引いてゲートへと消えた。
16:00から搭乗が始まり、周りに座っていたターバンを巻いた髭モジャのおじさんや、明らかにタイ人より茶色に近い肌色の人種の人たちが、チケットを手に並んだ。
機内はレトロっぽくて可愛い花柄のシートカバーで、明るい感じがした。
飛行機は滑走路へ向かい始めた。やおらモニターが点き、突然アラーの神へのお祈りが始まった。私でなくてもイスラム教ではない外国人なら、口をぽかんと開けて見てしまうだろう。
何故か救命胴衣の装着の説明は、お祈りの後なのだった。

BG061カトマンドゥ行きは、バンコクを飛び立ち、ヤンゴン、ダッカで2度着陸する。ヤンゴンまでの1時間の間に慌ただしく機内食が出された。さっき離陸前に見た女性たちが、忙しなく働いていた。

ダッカへ向かう間の2度目の機内食は、お腹が痛すぎて食べられなかった。
保険をかけずに日本を出国して来たし、バングラで病院にかかるとしたら、診察料金をいったいどれぐらいとられるか、目をつぶったまま漠然と考えていた。今朝からすでに4回トイレに行っている。
隣で咳き込むあずささん。ふたりとも、決して万全な体調で入国するわけではなかった。
ダッカ到着。依然お腹は痛い。アライバルへ向かう。荷物が出てくるまでの間に両替。
怪しいまでに陽気な銀行員の窓口はやめて、端っこのエクスチェンジへ向かった。レートは1ドル=58.85タカ。

トランクを取り出口を出ると、へんなジイさんがいて、英語で一泊50ドルの宿を斡旋してやると言う。ふたりして断っていると、あっと言う間に25ドルまで下がった。胡散臭さ極まりない。
ジイさんに頼むつもりはないが、今日の宿を決めなければならないので、空港内のホテル案内所へ向かう。

目鼻立ちの濃いベンガル人の兄さんが地図を見せてくれて、モディジュール地区にある「ホテル・パシフィック」を紹介してくれた。ガイドブックにも載っていたホテルなので、安全だろう。
部屋にはもう一人色の黒い客がいて、現地の人かと思いきや、彼はブリティッシュのバックパッカーらしかった。
使い慣れた英語で、‘ベンガル人はぼったくる’と言った。
チケットのリコンファームをしに、2階にあるビーマンバングラデシュのオフィスへ行かなければならなかったが、案内所の兄さんのおかげでスムーズに終わったので、ホテルを「パシフィック」に決め、電話で予約を入れてもらった。
雨も降っているし夜も遅いため、タクシーを頼むことにした。ガイドブックには、ベビータクシーで100タカくらいと書いてあったが、案内所の兄さんは、トランクが2つもあるから普通のタクシーじゃないと載らないし、料金は700タカと言う。
こちらの物価にまだ慣れていないこともあるが、普通に考えてもきっとこれは相当に高い。かと言って空港の外は真っ暗だったし、重い荷物を運ぶ気力も足りない。値切ってみたが安くならず、結局言い値で彼に代金を支払い、タクシーに乗った。
40分後ホテルに到着。車酔いと腹痛でフラフラになっていた。
ダッカにはストップ・オーバーで3日間滞在するため、3泊分の支払いを済ませた。(タックスを含め、ふたりで1泊1300タカ。)
やっと部屋に辿り着き、ベッドに倒れこんだ。
少し暗くてジメジメと湿気を感じるが、とにかく眠りたい。
ホテルのボーイ兼ルームサービスの人が妙に人懐っこくて、その夜何度も私たちの部屋のドアをノックしたのにはチョットまいった。
 
9月13日月曜日
目覚めると、大変なことが起こっていた。

「何これ!」
どう見ても、ホテルの前の道路が冠水している。
雨は止む気配もなく、昨日の晩から降り続いていた。
「本気で?!」
いくら国土の三分のニが海抜より低いからって、これはないんじゃないの??

私にとって10カ国目に訪れた記念すべき国バングラデシュ(香港・台湾は一応中国に含む)は、今まさにただ事ではなかった。

朝食はあずささんひとりで行ってもらい、またベッドに横になった。体調はまだ優れない。

日本を発つ前までは、ネパールの情勢があやしく、カトマンドゥの一部では外出禁止令が出ていたため、外務省からは渡航の是非を検討するよう勧告が出ていた。躊躇したものの、秋冬物はネパールでないと手に入らないことは確かだった。
バングラの滞在を延ばすことも考えたが、やはりチケットを捨てなくてよかったのかもしれない。

ともかく、明後日ネパールに向かうまで私たちに与えられた時間は、今日と明日しかないのである。「ホテルにいたってしょうがない」と、2階のレストランから戻ってきたあずささんと外出の用意をし、ロビーに下りた。

ザーザー降りの中出て行こうとする私たちを見て、フロントの男性は『もう少し雨が止むのを待ってからの方がいいんじゃないの?』と言った。
空を見たが、止むはずがなかった。
私たちは、NGOが関わっている、民芸雑貨の店まで行きたかった。そのビルはミルプールロード沿いにあり、モディジュール地区からはとうてい歩いて行けそうもない。
となると、手段はベビータクシーか、リキシャーだろう。リキシャーは、人力の三輪自転車タクシーで、代金は距離によりリキシャワラ(リキシャーの運転手)と交渉をする。タイのトゥクトゥクと同じだ。
8:00
10:00
ホテルの前でつかまえたリキシャーに乗り込み、前に防水用のビニールシートを掛けてもらって両端をふたりでしっかりと持った。リキシャワラは、頭にバンダナを巻いた若い兄さんだ。50タカでミルプールロードまで行ってくれると言う。濡れてべったり纏わりついている腰巻をたくし上げ、彼は硬そうなサドルにまたがりペダルをこぎ始めた。

通りでは車を縫ってたくさんのリキシャーとすれ違った。リキシャーには、芸術的な飾りが施されたり、絵が描かれたりしている。これは、他の同業者と競うのにより目立たせ差別化したいがためか、商人の店構えのように自らに気合いを入れるためか、彩り、テーマ、様々なリキシャ・アートが目を楽しませてくれる。
「リキシャアートが欲しいから、オールドマーケットに行きたい」とあずささんが言っているが、売っている場所は不明だから、この雨と洪水ではその店を探して辿り着けるかどうか定かではない。

リキシャワラの兄さんの頭から背中から、水が滴り落ちている。どのくらい走っただろうか、大きな道路に出た。バスやタクシーも走っている。よくエンジンに水が入らないものだ。
向こうからやってきたリキシャーに乗ったベンガル人がすれ違いざま、東洋人の私たちを見て、『バングラデシュ!ウォーター!!』と言って、笑いながら水をかけるふりをした。
・・・そんなこと見ればわかる。
こちらもつられて半笑いになった。この国の人にとったら、このくらいの洪水も日常茶飯事なのだろうか。

道路が凹んでいて水深が深くなり、リキシャワラの兄さんは、ついに自転車を降りてハンドルを押し始めた。他のリキシャーも皆そうだったが、何だか申し訳ない気もした。やっと凹みから抜け、ほっとしたところへ正面からバスが走ってきた。
「ワァァァァー!!」 ザッバー・・・
速度は落としていたものの、大きな車体は通り過ぎる際に周り全てに波を食らわせた。私たちは防ぎようもなく、泥水で確実に尻までがぬれた。下着までもだ。これ以上ない異常事態に、もう笑うしかない。

やっとの思いで民芸雑貨の大きなビルに着き、リキシャーを降りた。途中苦労をかけた兄さんには、一人50タカ渡すことにした。兄さんは喜んで帰って行った。

ビルは思っていたより大きくてきれいで、2階から上がショップになっていた。商品も豊富で、管理も行き届いているし、店員のお姉さんたちの衣装もきれいだ。
13:00、3階にあったカフェで昼食をとることにした。できるだけお腹に負担をかけたくなかったので、チキンコーンスープとカフェラテを頼んだ。窓の外は雨が降り続いている。

買い物を済ませ、階段を降りて外に向かうと、強まった雨足で状態は来たときよりよりひどい。何人かのベンガル人たちが立ち往生している。ふと見ると、先に下りていたあずささんが、誰か女の人と話をしていた。
薄いピンクのサルワール・カミューズを着た威勢の良いその女性が、親切にも私たちのためにリキシャーを停めてくれて、予定通りここから近いニューマーケットに向かうことができた。

いざ着いたニューマーケット。地図で見るとダッカ大学の近くにあり、建物の中は女性物のアクセサリーやサリー布の店が軒を連ねていた。この天候では店が開いていないのではと心配していたが、存分に2階まで見て回ることができた。
商品は仕立てる前のサリーがほとんどで、インド製のものが多く、ここでノクシカタには出会えないことがわかった。
しかも売り手はほとんどが男ばかりで、妙にギラギラした感じがした。イスラム教の女性はたいてい家の中にいるためか?黄色人種女ふたり連れの私たちは当然目を引き、どの店からも『カムイン!シスター!』のお声が掛かる。きっと彼らは私たちをシンガポールからのバイヤーとでも思っているのだろう。

ニューマーケットを後にし、降りしきる雨の中、ちょうど客を降ろしたばかりのリキシャーを見つけた。モディジュールまで30タカで交渉する。40ならいいと言うので、ちょっと年寄りのリキシャワラだなと思ったけれど、荷物と共にリキシャーに乗り込んだ。
若くないリキシャワラには気の毒なほどの道だった。途中道路は川のように水が流れ、一段高くなっている中央分離帯の上を歩く人々が列になり流れを作って移動していた。
行き交うリキシャーはビニールシートを被った人々を乗せ、深いところはリキシャワラたちが自転車を降りてドブっている。
さらに水嵩は増し、浅くて足首、深くて膝下ほどになってきた。

浅瀬を選んで車を縫いながら20分ほど走り、大きな蓮の花のモニュメントの前まで来たとき、おじさんは「着いたぞ」みたいなことをベンガル語で言った。
「えっ?」ここじゃない。
見回してもホテルはなかった。
「モディジュールだぞ」とおじさんは言っているようだ。
確かにここはモディジュールかもしれないが、こんなところで放り出されても困る。ちゃんと私たちと商品をホテル・パシフィックまで運んで行ってくれ!
日本語で必死で頼む私たちをそこへ置き去りにはできず、おじさんはとりあえずまた走り始めた。
ストップおじさん、この状態で闇雲に走ってもらっては困る。
持っていたホテルのネームカードには住所しか書いておらず、やはり誰か他の人に道を聞くしかなかった。
『ホテル・パシフィックを知ってますか?』
リキシャーを停めてもらって道行く人に聞いてみるが、皆首を横に振った。
「確かビーマンのオフィスが近くにあったよ!」と、あずささんが憶えていたので、『ビーマンのオフィスの近くのホテルです』と伝えると、「それなら反対方向だよ」とひとりの人が教えてくれたらしく、リキシャワラのおじさんは今来た道を引き返し始めた。
困難な道のりを相当な時間をかけて何とかホテルまで連れて帰って来てくれたおじさんに、ふたりで100タカ渡すと、「こんなに?」とびっくりした顔をされた。受け取っていいのか迷うおじさんを残してそのままホテルに入った。
汚水の中を延々と歩かずに帰ってこれたことがありがたかった。

部屋に帰ると即行でびちゃびちゃの服を脱ぎ、交代でシャワーを浴びて洗濯をした。
夕食は2階のレストラン(ここもスタッフは男ばかり)で、ホテルパシフィックスペシャル・フライドライスとフライドヌードル、ミルクティを頼んで食べた。温かい飲み物を口にしお腹も膨らむと、気分を少し落ち着けることができた。
寝る前に正露丸を飲み、明日は雨がやんでいますように、と半分祈るような気持ちで床に着いた。
 
9月14日火曜日
雨依然降り止まず。
9:30、部屋の窓から外を見ると、人影はほとんどない。

朝食をとりにレストランへ。インドの‘ナン’に似たパラタというパンのような食べ物と、目玉焼き、ミルクティを注文。
10:00を過ぎると通りにリキシャーが多くなってきた。果たして明日は空港まで辿り着けるのだろうか?

昨夜、今日はボナニまで行ってみようと計画を立てていた。ちょっと離れているが、バスに乗れば大丈夫そうだ。
部屋から出たところで、あのルームサービスの男性にあずささんが今日もシーツを替えてくれるよう頼み(頼んでおかないと替えてくれない)、ロビーに下りた。
ソファ前に置いてあった新聞が目にとまった。ベンガル語は読めないが、一面にカラー写真入りで現在の洪水の記事が載っていた。どうやら今は、ザ・ワースト・シチュエーション・イン・ダッカ らしい。
フロントの人たちに『ボナニまで行く』と言うと、『死ぬ気か?』と言われた。それでも、何もせずにボーっと部屋にいることを考えると、やはり一日が勿体なさすぎる。
かと言ってここで死ぬつもりもないので遠いボナニは諦めて、行き先をダンモンディへ変更することにした。

昨日と同じくしてリキシャーをつかまえ、100タカでダンモンディー地区に向かってもらった。ガイドブックによると、ダンモンディは外国人も多く住む高級住宅街らしい。(モディジュールは金融ビジネス街とのこと)
昨日と同じくらい時間はかかったが、道は今日のほうが全然よかった。それなのに、リキシャワラは到着して100タカ受け取ってから、指先をこすり合わせるジェスチャーをして、“もっとよこせ”と言い始めた。「アンタにあげるんだったら昨日のおじさんの方にあげらあ」と思って、無視してそこから立ち去った。

さすがお金持ちの住む場所。高いところに位置するのだろう。水溜りはあれど、見渡す限り洪水の被害は少ない。
バングラ一のホテル、ショナルガオンに向かった。とりあえず目の前に聳え立つ大きくてきれいなホテルの中も見学。入り口を抜けると、空港のような手荷物検査を行っていた。バッグを外して金属探知機(?)に通す。厳重な警戒態勢だった。ロビーは広く、装飾も立派なホテルだ。中でいくつかの雑貨屋や宝石店を見てまわったが、ショップは微妙だった。
ホテルの外に出て、目的地の民芸品店を探し始めた。
前の道路を横断し、しばらく行くと、20才くらいベンガル人の男の子が英語で話し掛けてきた。

あずささんが道を訊くと、すぐに教えてくれたのはいいが、いろいろ質問をしながらついてくる。
目的の店の中まで入ってきて、レジ横でずっと待っているようだった。アジアではよくある、勝手にガイドを買って出て後でいくらか請求する商法かもしれない。・・・やれやれ。

店内はわりと広目で、手工芸品がずらりと並んでいた。ノクシカタがたっぷり施されたクロスや民族衣装のサルワール・カミューズなど、たくさんの商品の中から、自分が買うべきものを選び始めた。

支払いを済ませ、次はどこへ行こうと相談しながら店を出ようとすると、さっきの男の子が、やはり案内をしてあげると言ってついて来た。あまり相手にもしていられない。
小雨が降っているので、リキシャーを拾おうかどうかウロウロしていると、西洋人ふたり組みのおじさんたちが東洋人の私たちをみつけ、同じ観光客と思ったのか、『買い物をしたいなら、イースタンプラザに行けばいい』と教えてくれた。ここから歩いて行ける距離らしかった。男の子はガイドをしたがっていたけれど、丁重にお断りして、大通りの交差点まで出て、地図を見ながらふたりで歩き始めた。
15分ほど歩いてイースタン・プラザに到着。
1階が家庭用品、2階が高級サリー、3階が装飾品と靴、4階が電化製品のフロアになっている大きくてきれいなビルだ。この界隈のお金持ちご用達なのだろう。
建物の外には物乞いの人たちがいた。

商品にインド製のものが多いし、テレビ番組もインド映画のチャンネルがいくつかを占めていたから、文明発祥の地・インドの影響は大きい。

ここにも女性は少なく、売り手も客もほとんどが男ばかり。2階では布を頭から被り、目だけ出した女性を見かけた。
宗教って大変だなー。
3階
リキシャーを拾い、エレファント・ロードへ。
ここは日用雑貨ばかりのようで、肩透かし。気を取り直してダンモンディのショッピングモールへ向かうも、洪水で休み。
プライドの高そうな職人気質のおじさんは英語でのトークが上手で、気持ちのよいハンドルさばき。湖と化したホテル前では入り口までドブってくれて、100タカの請求だった。

部屋に戻ってあずささんがタイから持ってきたポテチを開け、ミルクティーを注文。部屋に届けてくれたベンガル人のおじさんは、日本に3年いたと言って、部屋を出て行くまでしきりに私たちと話したがった。

それにしても、昨日今日の経験から言えば、洪水時のバングラには訪れない方がいい。
 
9月15日水曜日
ネパールへ向かう朝が来た。今日のトップも洪水の記事だった。
ルームサービスの男性には、ふたりでお礼に1ドル札を渡すことにした。彼らにとってチップは重要な収入源らしいことがガイドブックに書いてあったからだ。
彼はとてもよろこんでくれて、外に出て快く黄色タクシーを呼んできてくれた。
雨はあがっていた。

タクシーは250タカ。降りる際に、運転手は指をこすりあわせて、煙草代に20タカ要求した。

空港の入り口では、それらしいスタッフジャンバーを着た男がトランクを奪い取るように持ち、勝手に探知機へ通してカウンターまで案内しておいてチップを要求してきた。
悪いけど、その程度の労働で、洪水の中必死で稼ぐリキシャワラたちと同じ金額あげられない。「No have」と言って財布にあった16タカ渡すと、男は苦い顔をした。
対外国人のアクドイ儲け方はキライだ。

出国審査を抜け、ゲート手前のショップに入ろうかと思っていると、係員がチケットの確認にやってきて、8:00発のボーディングパスチケットを渡され、『ついてこい!はやく!』と言う。

午後の飛行機に充分間に合うように、10:00に空港に着いた私たちだったが、よくわからないままに待合室に連れて行かれた。
ガラス壁の向こうにある搭乗口には飛行機がついていない。室内には他にもカトマンズに向かう人たちが待っていた。
「どーなってんの?」
荷物チェックを受けてしまったから、この空いた時間ショッピングは不可能。
しかも8:00発のはずのまだ飛んでいない飛行機に乗せられる。不規則にも程があるように思うが、大丈夫か?ビーマン。

10:45に待合室にいた全員がバスに乗り、小さな飛行機まで移動した。
機内でオレンジジュースをもらい、11時5分前出発。2時間後にはカトマンズにいるはずだ。
リキシャーの乗りすぎで腰が痛い。気づけば旅の半分に達しようとしていた。

急いで乗せられたBG0701Dは、ヤンゴンで一度降り、また飛び立ってインド上空を通過し、ネパールに到着した。
飛行機から降りるとまず、心地よい風を感じ、視界の半分には眩しいほどに澄んだ空が広がっていた。
「いい天気だね、予想外にはやく着けてすごくラッキーだったよね?」と、レンガ造りの質素で美しい空港の建物に入り、入国審査とビザを取得するため、書類を書き始めた。じめじめとした天気から開放されたこともあり、気分がいくらか明るくなっていた。
ここでもビザ用写真を1枚用意し、30ドルを財布から出そうとしていると、ひとりの空港の係員が、『滞在はどのくらいだね?』と訊いてきた。『3日です』と答えると、『ああ、それならお金はいらないよ』と言う。
「え?そうなの?でも、去年は30ドル必要だったよ」あずささんが言うと、『乗り換えやなんかで3日以内の滞在に限り、ビザ代はいらないという新しいルールができたんだよ』と、係員はそのまま私たちを審査官のところまで連れて行った。
パスポートだけで、入国することができた。不要だった30ドルは宿代に回せる。
今日はいいことばっかりか?
と思いきや、少しばかりアンラッキーが始まった。到着の荷物コンテナから、私たちの荷物が出てこない。
「そういえば、荷物を預けたとき、タグは午後の便のままだったっけ・・・」ビーマンの空港係員は、テキパキとカッコよく私たちに指示して、はやくカトマンズへ送り出してくれたのはよかったが、トランクまでは気が回らなかったらしい。
「どーなってんだ!」私たちふたりは、穏やかな日の光が射す静かな空港で、荷物が無事到着するまでの間、足止めを喰らうことになった。

私たちの他にも同じような状況の人たちがいて、小さなカウンターに並んでいた。トラブル・カウンターには緑と赤のサルワール・カミューズを着た係員のおばさんがいて、外国人を優先に、荷物の紛失申告書のようなものを作成しているようだった。私たちも名前と住所、荷物の個数とトランクの色やメーカー等を言って、書類の控えをもらった。
たぶんこの次の便には間違いなく乗せてくれているのだろうが、これでははやく着いた意味がないじゃないか。ベンチに腰掛け時計を見ると、荷物が到着するであろう時刻までには有に3時間半はあった。

ターミナルは2つ。2階があるようだ。出口付近にエクスチェンジがひとつ(1円=6.3ルピー)、荷物用の蛇行したベルトコンベアも1つしかない。首都の国際空港にしては、小さくて乗り入れ便数も少なかった。私たちが到着してから後、タイ航空が2便着いただけだ。確か日本からも直行便のロイヤルネパール航空が飛んでいるはずだが。
あずささんがいつのまにか、係員のおじさんたちと仲良くなっていて、『おい、誰かこのコにビスケットをやってくれ』ということになり、私までパイナップルクッキーとチャイをご馳走になってしまった。ネパール人のおじさんたちは優しくて、簡単なネパール語を教えてくれたりして、ダッカで少しカサカサになりかけていた私の心を癒してくれたのだった。

荷物が到着した。紛失届けの控えを誰もいなくなっていたカウンターに残し、太陽が眩しい外へ出た。ホテルの呼び込みの人たちの中から、「Fuji Guest House」の看板を見つけ、今日の宿はそこに決めた。日本人が多く利用するらしく、日本語が流暢なネパール人のおじさんがお迎えの車まで案内してくれて、私たちは空港を後にした。
「フジ・ゲスト・ハウス」は、カトマンズのタメル地区にあり、屋上からはスワヤン・ブナートを望むことができた。
部屋のランクは3段階に別れていて、エレベーターはない。ビザの浮いた分できれい目の部屋を3箔予約した。

荷物を置いて、両替をしに町へ。ルピーを手にし、集合時間を決め、思い思いに買い付けに出かけた。夕方に入りそうな時間だったが、まだまだ外は明るい。
陽も落ちて暗くなり、買った商品を一度部屋に置いて、夕食をとりにまた表に出た。
20:00、あずささんお気に入りの立派なステーキハウスに到着。ひたすら階段を上り、屋上の市内が見渡せるテーブルについた。ビールで乾杯し、240ルピーの巨大なガーリックステーキに舌鼓を打った。遠くにはライトアップされたスワヤン・ブナートが見えた。
 
9月16日木曜日
朝食は、ゲストハウスの中庭でとることにした。部屋は快適で、何の問題もない。昨日と同様に天気がよく、買付日和だ。
オーナーがふらりと中庭にやってきて、達者な日本語で話し掛けてきた。トーストが運ばれてくるまでネパールの情勢や商売の話をした。ここに泊まるお客さんの中には、スタッフを何人か連れてきていっぺんに500キロほどの荷物を送る人もいるという。なるほど、大きな店なら品揃えも必要だし、それくらい送らないと確かに旅費が馬鹿らしい。

カウンターの小鳥のようなおじさんに鍵を預け、ゲストハウスの外に出た。タクシーを拾い、少し離れた場所へ向かう。車窓には、レンガ造りの家並みや、彫刻のおもしろい寺院のような建物が見える。天井が低くて二階が近いのがこの辺の建物に共通する造りのようだ。
120ルピー払ってタクシーを降り、時間と集合場所を決めてそれぞれに仕入れにかかった。
手すき紙グッズやショールを買い、タメル地区に戻り、部屋に一度荷物を置いた。
両替をし、今度は気になっていた絨毯屋へ向かい、ふたりで値引き交渉。
気づくとお腹はぺこぺこで、夜はあずささんオススメのヤクチーズの入ったカレーを食べに出かけた。ビールとモモ(チベットギョーザ)も注文し、300ルピー。満腹で店を出た。

途中チベット虎絨毯の偽物を発見。絨毯屋のおじさんによると、ネパール製の真似て作った品質の良くない絨毯は、洗うと色がAll gone(全部どっか行っちゃった)だそうだ。

ネットカフェでメールチェック(25ルピー)後帰宅。
 
9月17日金曜日
感じのよいカフェで朝食。
午前中仕入れをして、午後からインヴォイスの申告準備。買ったものが予想を上回る多さになり、バンコクへ持って帰るのを断念。ホテルのオーナーが協力してくれて、カーゴ会社に連絡してもらった。
雨が降り始めた。
普段トレッキング用具の輸送をしているカーゴ会社の社長がやってきて、失礼にならない程度に手数料の値引き交渉をした後、彼の運転手付きのトヨタ車(!)に乗り、荷物とともにオフィスへ向かった。今日はお祭があるらしく、赤いサリー姿の女性がたくさん歩いている姿が見られた。伴侶や未来の旦那様の健康を祈って赤いサリーを身にまとい、女性たちは断食をするのだそう。
私にもダーリンがいたら、喜んでとまではいかないが、年に一度くらいなら断食に入ってもいい。
丘の上の高級住宅地にある倉庫兼オフィスに到着。商品を従業員が3人がかりで箱詰め。さらにそれぞれへ麻の袋を被せて縫わないといけないのがネパール式。日本に送る商品のリストを渡し、インヴォイスの書類を作成してもらい、支払いを済ませた。

車でタメルまで送ってもらって、お礼を言って降りた。時間を見ると19:00だった。そのままふたりでレストランへ行き、あずささんはガーリックステーキを、私はネパール料理セットとミルクセーキを注文。

帰り道にCD屋で試聴してあずささんが何枚かCDを買い、21:00帰宅。
 
9月18日曜日
10:00、街角のパン屋の2階テラスにて朝食。キッシュとカスタードロール、ミルクチャイ。
取引先の工場と思われる建物まで知り合いに会いに行くが、おらず。
ゲストハウスに戻り、ミニバスで空港まで送ってもらう(帰りは有料)。12:00、空港に到着。
ビーマンバングラデシュのカウンターに行き、チケットを見せた瞬間問題発生。往路ダッカで全ての便をリコンファームしたつもりが、予約取り消し状態。見事足止め。
今日ダッカに飛べなければバンコクに着くのがいつになるかわからなくなる。空港係員がビーマン本社に問い合わせてくれている間、トランクに座って待つ。20分後、荷物を預けてやっと2階の搭乗口に上ることができた。

出発ロビーでは、タイ行きとデリー行きを待つ人々だけだった。のんびりとした空港で、チャイを飲みながら出発を待った。
厳重な手荷物検査を受け、ビーマンに乗り込んだ。機内食はいつものメニュー。
ダッカに到着。今夜は空港近くのホテルで一泊し、明日の朝の便でバンコクへ向かう。2階のトランジットカウンターで出会ったスラリと背の高い金髪の白人男性。頭には山高帽、手には水筒を持っていた。さて、パスポートをカバンから出して、どうしたものかとベンガル人の係員の様子を見ていると、なんと金髪男性は「日本語」で私たちに話し掛けてきた。親切にも彼は、ベンガル人の英語を日本語に訳してくれて、スムーズに事を運ぶことができた。

「Are you American?」と言う私の問いに、「アイム ブリティッシュ」という答えが返ってきた。名前はポールで、休みを利用してアジア各国を一人旅中の学生とのことだった。関西学院大学に3ヶ月程留学した経験があると言っていたし、それだけの期間で日本語がこれだけ喋れるのだから、相当頭のいい学校だろう。‘オックスフォードに住んでいる’と言っていたので、オックスフォードとかかもしれない。笑
明朝の便を待つのは、私たち3人の他にイタリアへ向かうネパール人女性だけだ。
荷物を無事受け取った私たちと違って、ミャンマーへ向かうポールはバックパックが先にヤンゴンへ向かってしまったらしかった。タグの行き先をヤンゴンと指定してしまったのだろう。バンコクに行ってさえいなければ問題ないが、彼は今晩は荷物なしで過ごすハメになったようだ。手持ちはあるか訊くと、「大丈夫」とのこと。

バスに乗せられ、私たち4人はスカイリンクホテルへ向かった。ダッカは打って変わって晴れ。この前の洪水がウソのようだ。
パスポートもチケットもビーマンの係員に預けてしまっているし、ビザもないためホテルの外にも出られないから何となく軟禁されているみたいな気分。湿っぽいツインの部屋に、ホテルの男がミルクティーやクッキーを持ってきてくれたが、チップを要求される。10タカも渡しておけばいいだろう。カトマンズの空港の手荷物検査でライターをとりあげられたあずささんは、20タカ渡して新しいライターを買ってきてもらった。

夕食は2階のレストランで‘ダル’他。少し遅れてポールがやってきて、おしゃべりをしながら一緒に食事をとった。
 
9月19日曜日
空港到着。バングラの空港を信じてはいけない。自分の荷物は自分でシッカリ持たないとスタッフ風ベストを着たセコいベンガル人に法外なチップを要求されることになる。
「ネパールルピーでもOK」と言う体格の大きいヘナ仕上げの赤毛の強面男に、あずささんが仕方なく1000ルピーもあげてしまった。
ポールはバックパックが見つかったらしく、一安心。
彼はずっと大きな手帳に何かを記録している。眼鏡をかけた、190センチはある青年。

女性係員に胸をさわられるボディチェックの後、前回と同じロビーで搭乗を待つ。

10:30、移動。時差+15分、12:40ヤンゴン到着。ポールとお別れ。握手をして、「テンキュウ、ポール、シーユーアゲン。ハヴアナイストリップ」と言った。
私たちもドン・ムアンでトランクを受け取るまでは気が抜けない。

出てきたトランクを手にし、アライバルの外へ。空港でのレートがよくなかったので、両替はカオサンですることに決め、メータータクシーに乗り、ゲストハウスへ向かった。
時計の針をタイ時刻に合わせなくては。
 
9月20日月曜日
バンコクへ戻ったら戻ったで忙しい。朝食のトーストを食べて、荷物とともにタクシーでカオサンロードにあるUPSのオフィスに到着。
荷物を置き、カオサンのミトラで冬物の仕入れ。午後からバスに乗ってチャイナタウンへ。
ランチにホンコンヌードルと称したラーメンを注文、デザートにエッグタルトを食べた。
人ごみを掻き分け、いつもの細い路地に入り、マダムの店に着いた。が、クリスマスデコレーションは明日しか届かないとのこと。出直しだ。
バスでイセタンまで戻り、ナライパンへ向かった。買えるだけ買って、明日一気に送る。
夜は久しぶりの焼き鳥とソムタム、カオニャオ。コンビニでビールとえんどう豆スナック、ヨーグルトも買い足してきた。
 
9月21日火曜日
午前中からチャイナタウンへ向かい、残金を支払って大量のクリスマスデコレーションを受け取った。箱が嵩張るのでいくつか詰めなおし、柔らかい飾りはビニール袋にぎゅうぎゅう詰め込んだ。それなりに時間はかかったが、何とか1台のタクシーに積める量になった。下手をすると2台のトゥクトゥクに詰め込まなければならなかったから、小さくなって助かった。
手伝ってくれた店員の人とマダムにお礼を言ってUPSへ。カトマンズで一度送っているから、荷物は5箱で67.5キロ程。それでもインヴォイスリストと梱包の手数料、サイズの規定があるから、なかなか安くはない。さらに商品には到着時、関税というものがかかってくる。

一仕事終え、タイ式マッサージ屋さんに行った。仕入れの旅の疲れを解してもらって、とてもいい気分だった。
帰りのバスを途中で降り、ジム・トンプソンハウスに行くことにした。上品な造りの博物館と販売店になっていて、空港のブランドショップ並に立派だ。残り少ないバーツで買える範囲内ではあったが、母にハンドバッグを買った。敷地内のカフェで久しぶりにまったりとした時間を持った。

19:00、近くの食堂に入り、空芯菜の炒め、トムヤムポーク、カオパックン、フライドポークを注文。明朝はやい便なので、今晩ははやめにシャワーを浴びて荷造りを済ませて寝なければ。
 
9月22日水曜日
3:00のモーニングコール。7:00発UA838便東京行きに乗るため、ゲストハウスを4時過ぎに出発。
搭乗時刻までの間空港内でお土産を買い、バンコクを後にした。
機内では何故かあずささんと席がバラバラだったが、疲れていたのでそんなことはあまり気にならず、指定されていたインド人夫婦の隣に座った。サンフランシスコにいる息子に会いに行く途中だと言っていた。

16:45、成田からバスに乗り、18:50東京駅で豊橋行きのヒカリのキップを買った。重いトランクを引きずっての12時間を越える移動に、もはや昨日のマッサージの効力は微塵も残っていない。

ネパールとタイからの荷物が到着し、ウェブと店頭でお客さまにそれらを見てもらえるのが何よりの楽しみだ。

オワリ