| さて、以下は思い立ったが吉日大陸に渡って、歩き回りながら徒然に想いをつづった「プチ・レポート」です。 訪れたのは北京・上海・昆明の三都市。 中国はものすごいスピードで発展を遂げています。街中には馬路があり、自転車の中に馬車もチラホラ見えていたあの風景はもうありません。 高速、環状線、高層ビル、ネオン・・・どれも予想以上に存在し、今後も増え続けるのでしょう。東京とほぼ同じ人口一千万都市北京の物価は上がる一方。方や廃止されたはずの外国人値段も、あるところにはまだあったりするのでした。 地図を買い、路線を調べ、バスに乗り込み目的地まで向かう毎日。 市内を網羅した「公共汽車」に乗り、慣れればどこへでも簡単に行くことができます。 喋らなければ日本人だとわからず、ボラれることも少ない為、極力余計なことを言わない方が無難・・・ひどいところでは外国人には2〜5倍の値段をふっかけてきますね(笑) 中2のときから習い始めた北京語も、今ではほとんど全て忘れているため、幼稚園児並みの語学力が役に立つのは、迷って道を訊ねるときと価格交渉で精一杯。ただでさえパワーの強いこの国では、エネルギーの消耗がいちじるしく、重ねて一人旅の「孤独さ」に負けないよう「気楽」にマイペースを保っておかないと、国の違いによる「不便さ」に負けてしまいそうになります。 その文化の違いや言葉の違いが「面白さ」であり、旅=生きること、になるわけなんですが(^−^) ※ これを書いた2002年は、中国に2回とスリランカへ |
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| 《その一》 『おい、着いたぞ!』
青年は少し面倒くさそうに、私にそう言い残して去った。時計を見ると、六時をまわっている。うっすらと夜が明け、窓の外には人影が見えた。
人民解放軍の軍人だと言っていた彼は、二十歳くらいだったろうか、昨日の筆談で、年齢は訊かなかった。
早朝四時の公安の検査に、バスの乗客は全員、眠い目をこすりながら各自身分照明証を差し出した。もれなく外国人の私たちも、パスポートを用意する。
日本のパスポートを受け取った公安の制服を着た男は、私を一瞥し、『車を降りろ』と言って先にバスを降りた。
以前読んだ本のことを思い出した。どこかと照合が必要なのだろう。寝起きで少しボーっとしながら寝台から下りる。「あずささん、降りろって言ってる」
当然外は真っ暗だった。薄明かりの点いている建物の前には、少し広いコンクリートのスペースがあり、そこにおいてあるプラスチックの小さな椅子に腰掛けて、警官を待った。
昆明から乗ってきた夜行寝台バスは、私たちが戻ると再び目的地「金平」を目指して走り始めた。
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《その二》
金平に行こうと言い始めたのは、あずささんだった。彼女とは昨日初めて会った。と、言っても以前からメールでのやり取りはあったし、WEBショップを経営する同業者でもあったから、なんだか初めて会った気がしなかった。旅慣れた女性で、何事にも動じない態度に信頼と好感が持てた。
バンコクから昆明入りした彼女と、空港の国際線到着口からそのまま駅ターミナルまで行き、何とか夜行バスに乗り込んだのだった。
とりあえず、バスの発着場所のすぐ目の前にあるきれい目のホテルに飛び込んだ。荷物を置きたかったし、顔も洗いたかった。寝台のお布団はいつ換えているのか、ほのかに臭いがあったから、髪も洗えれば助かる。
二階の一番奥の二人部屋の窓からは、ゆるやかな坂道へ続く市場が見えた。民族衣装の女性もちらほらしている。「ヤッタァ!あずささんこれよ、これ!」
昆明は都会だった。
街中には大きなデパートがあり、ビルがあり、車が走る。国際線のある空港があり、テーマパークがあり、北京・上海にはかなわないながら、雲南省の省都としてかなりの発展を遂げていた。私が勝手に想像していた昆明は、はるか昔の姿だったことを知った一昨日。
それが今日、目の前に開かれた風景と重なった。
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《その三》
・・・私は、田舎が好きなのかも知れない。学校を卒業して大阪で働いていたときも、都会の騒然とした少し冷たい雰囲気や、日々入り乱れる膨大な情報量に、何だか自分のペースを保つことが難しく思えて落ち着かなかった。 金平の町は、小さい。 休憩をとり、身支度を整えた私たちは、すぐに部屋を後にした。ホテルの玄関からぐるりと裏に廻るとそこは野菜や日用雑貨を置いた庶民的なマーケットだった。少しの買い物をしつつ、私たちが向かうのは、「老猛郷」というところ。少数民族のウィークエンド・マーケットが開かれているらしいというガイドブックの情報を頼りに、そこまで行くための手段を探す。
ガイドブックに地図はなく、そこがここからどのくらい離れているのか、検討もつかなかった。 私たちは、坂を登りきったところに屯しているバイクタクシーの中のひとりのおばさんに、詳しいことを訊いてみることにした。
行きたい場所を伝えることはできたものの、おばさんの態度はひどくいぶかし気で、『話しにならない』と言わんばかり。聞き取りにくい雲南訛りに対抗して身振り手振りで会話したところ、「老猛」はかなり離れた場所にあるから、こんなバイクでいけるような距離ではない、らしい。『タクシーで行け』そう言っているに違いない彼女の指差した方向へ歩き出す。 「老猛郷」行きのバスは、早朝7時にすでに発車した後。 そこへ辿りつくための残された手段は、乗合タクシーだけのようだ。 |
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《その四》
空は申し分の無いほどの快晴。
すれ違う少数民族のおばあさんの髪飾りや、子供の衣装の刺繍に見とれながら、坂道をおりる。この道の先には何があるのかはわからなかったが、なんとなく今日私たちの行くべきところ・見るべきものはすでに決まっているような気がしていた。
上手く言えないけれど、この年・この場所・この時間に、私たちは居るべくしてここに存在し、また、これから先体験するであろう未来も、予め運命として私たちに選択されるのを待っている・・・。
だから、「老猛」に行くことができなかったとしても、きっと悲しいとは思わないし、もし行くことができたとしたら、大きな喜びを感じるに違いない。
辿り着いたのは、乗合タクシーの停留所。町外れの空き地に、何台ものトラック型のタクシーが並んでいる。「さあ、誰かに訊いてみよう」ノートとボールペンを用意して、その辺にいる運転手たちに話し掛けた。
『すみません、「老猛」に行きたいんですけど・・・』
外国人の私たちは珍しいせいか、すぐに周りを取り囲まれてしまった。
『何だ、何だ?お前らどこに行くんだ?』
『老猛?バスで行きな!』
『今日のバスは出ちゃってるよ。だからタクシーに乗りにきたんだろうよ』
『日本人かな、何喋ってるか通じないよ。見た目はわからないものだねえ!』
『何?外国人か?どこに行きたいって?』
たぶんそんなことだろうと思う。集まってきた運転手たちは、思い思いに話している。すると、中に居たひときわ体格のいい男が、引き返して予定を立て直そうかどうか迷っている私たちに、
『そこに何しに行くんだ?』と訊いてきた。
「民族衣装を買いたいんだけど、そこはそんなに遠い?」筆談を交えて問う。
『ああ、今日行って帰ってくるのはちょっと無理だ。代わりに泰族の村ではどうだ?オレの村なんだ』
彼は言った。
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《その五》
『タイ族の村・・・?そこまではどのくらいかかるの?』
タイ族は、雲南省の人口の8割を占める少数民族のひとつで、聞いたことのある名前だった。
『片道1時間ちょいくらいだ。午後から連れて行ってやろうか?
そうだな、ふたりを乗せて行って帰って・・・100元でどうだ?』
男がいたずらっぽそうにガキ大将のような表情でそう言うと、
ワァ!と周りから声があがった。
半笑いの人もいる。
「あ、これはだいぶふっかけてるな」そう直感した私たちは、身構えて『ダメ、高い!』と言った。
ここに来る前に北京上海を2週間まわってきたおかげで、こっちのお金の価値は重々承知している。100元は大金なのだ。
ようやく70まで下げたところで周りにいたやじ馬たちも散り始めたけれど、
『50で連れて行ってやろうか?50!』と遠巻きに声をかけてくるニヤついた輩も見える。70でもいい仕事なのだろうと思う。
『あのひと、50って言ってるよ?』
『うるさい、うるさい。ヤツは泰族じゃない。オレの地元だから、オレの方が詳しいの!』
男は「50!」と叫ぶ仲間を渋い顔で睨みながら、私たちを自分の車に案内した。
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《その六》
『これ、食っていいぞ』
車に乗ると、彼は薄いビニール袋にたくさん入った果物を指差した。
「いいのかな」私たちが顔を見合わせていると
『オレのマンゴーだ。食べろよ』と促す。
言われるがままにひとつ手に取る。
青い色のマンゴーの皮をむくと、鮮やかな山吹色の果肉が出てきた。食べると強い香りがして甘く、中には大きな種があった。
むいた皮は、車窓から捨てる。
植物だから外に捨てても土に返るのはわかっているが、放り捨てるとき、最初少し抵抗があった。
ふと隣りを見ると、あずささんのマンゴーを食べる仕草が優雅でナチュラルなのがなんだかおもしろい。これまでアジア諸国を数多くまわってきた経験からだろう。
手入れが行き届いている車内は、とても清潔な感じがした。運転席の後ろの座席に私たちは乗っていて、さらに後ろに貨物用の荷台のあるトラック型タクシーだった。
窓を開放しているので、絶え間なく強い風が入ってくる。
信号も車線も標識もなく、河と山が見渡せる1本の道を走る。
途中、ブレーキがかかった。道路わきに水が湧いていた。
果物の汁でベタベタの手を洗え、とのことだった。案外親切な人だと思った。
その後もちょこちょこタクシーには人が乗り降りした。対向車も滅多に見当たらず、バスの便も少ないから、乗合タクシーはこの辺の人々の身近な乗り物のようだ。
バズーカ砲のような水パイプを、地元の人がよく吹かしているのを見かけた。あずささんは、車の停まっている間に、ダッシュで写真を撮りに行った。
豚も乗ってきた。まるまる太った泥だらけのヤツらが2頭。外の荷台に乗せられ、これから市場へ連れて行かれるらしかった。
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《その七》
市場につくと、丸々と太った豚たちは猛抵抗を始めた。大暴れの末に、寄ってたかって荷台からおろされ、彼らは大人しくなった。
貴州省の田舎の方などでは、編んだ竹篭に子豚を入れて、天秤のように担いでいる人たちの姿を見ることができる。家に帰ってからその日の夕食用にさばかれるのだが、パックに慣れた日本人からすると、それは信じられない光景かもしれない。
本当はその方が有害なゴミは出ないし、新鮮で美味しいと思うのだけれど・・・。
車はようやく、泰族の村に着いた。
歩いてまわってもそうはかからない、小さな集落だった。
ところが、想像していたような民族衣装を着た人はおらず、特に珍しげな建物もない。
「・・・あれ?普通じゃん??」
日用雑貨屋と小さな服屋にはえらく普通のものしかなく、買ったのは、少しの食器とようやく見つけた女性用の藍染の上下1着だけだった。
思惑と違い、何だか肩透かしをくらったようだったが、もうお昼だし、しかたない、金平へ帰ろう。・・・そんなガッカリ感が伝わったのか運転手の男は車に戻ってからしばらく考えていたが、ゆっくり私たちの方を振り返り、
『・・・ナーファに行ってみるか』と言った。
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《その8》
彼は、メモ帳に「那発」と書いた。
『そこに行けば、ユエナンが見られる』
彼は車のエンジンをかけた。再び強い風が車内に入ってくる。
「・・・何??今何が見れるって言ったんだろう?何かあるってさ」
「どうする?行ってみる?」
「ここまで来たら、行くしかないでしょ!」
「お昼はどうすんだろ。お腹へらない?」
「待ってね、運転手さんに訊いてみるから。・・・でも何て言おう・・・中国語で「そこへ行く最中にお腹すいたらどうしましょう、どこかにお昼の食べられるところがあるんですか」・・・え、えーと・・・
『運転手さん、ご飯、食べたいですか?』」
・・・我ながらなんという語彙力。
けれどとりあえず、彼の返事でこれから行くところで食事ができることはわかったからよしとしよう。
車は、泰族の村からさらに小一時間ほど走った場所で停まった。
数棟の建物が目に入った。道の両側には木が植わっていて、涼しげな木陰をつくっている。
そして、いた!民族衣装を着た女性たちを発見。道端にちらほら市場らしきテントも見える!
見たことのない民族衣装だった。襟元に特徴のある黒地の上着に、ピンク系のかぶりものがとてもよく映えている。
すぐにでも彼女たちのもとへ走り出したかったが、運転手の男は『こっちだ』と言って、私たちを一軒の食堂に連れて行った。
中国の田舎の方でよく見かけるタイプのレストランだった。入り口には壁やドアがなく、開放感がある。
お昼をまわっているので、奥にはすでに何組かのお客が入っていて、美味しそうに昼食を楽しんでいた。
私たちは外に面したテーブルに腰掛け、店員(といっても普通のお兄ちゃん)が持ってきてくれたコップに入ったお茶を、茶葉をよけながら飲んだ。
この手の店にはメニューがないのはわかっている。
奥にある調理場に行って、今日仕入れた材料の中から自分が好きなものを選び、それを使って料理を作ってもらうのだ。
運転手について、石の壁でしきってある調理場に行き、卵や野菜・きのこを選んだ私たちは、席に戻って料理ができるのを待った。
『良い感じのお店ですね』
私がそう言うと、
お前にもわかるか?といったふうに
『そうだろ』
と言って、彼は満足気にこっちを向いた。
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《その9》
「このひと、歳、あたしたちとそうかわんないんじゃない?シワとかないしさ」
あずささんが言った。
そう言われれば、第一印象よりはかなり若く見える。30前後といったところだろうか。
それよりもさっきから、この人が誰かに似ているような気がして仕方がなかったが、誰なのか思い出せない。
お昼ごはんが続々とやってきた。
たまらなくいいにおいが食欲をそそる。火加減も程よく、味付けも美味しい。卵とトマトの炒め物、中国菜と豚肉の炒め物、スープ、あんかけ等、テーブルいっぱいの料理をお腹いっぱい食べた。
食事の終わる頃、運転手の知り合いが声をかけてきた。同業者らしかった。
日本人の私たちに気づくと、
『こいつにいくら払ってるんだ?』と、おもしろ半分に訊いてきたが、運転手に『うるさい、もう、いいから向こういけよ!』と追い払われてしまった。
今回の中国の旅で一番美味しかった食事は、那発のこの店かもしれない。あずささんと母国語で楽しくおしゃべりでき、この上なく幸せなひとときだった。きっと、昆明に帰るとこうはいかない。14日まで、また、ひとりになる。
店を出て、裏にあるトイレを借りた。
裏庭のいっかくで、豚がたくさん飼われていた。
新鮮な豚肉は、ここから直送されているんだな、と思いながら帰ってきた私に、運転手がすぐ向こうにそびえた緑茂る山々を指差し、
『ユエナン』
と言った。
「!」
ユエナン=「越南」、越南=ベトナムだ!
一瞬の間に繋がった言葉の意味。
ここ那発は、中国・ベトナム国境の村なのだった。
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《その十》
来たときに見た路傍の露店には、日用雑貨が売ってあって、店をたたみ始めている人もいた。
『国境を見に行こう』
車をそのままそこに残し、私たち3人は国境へと続く道を歩いた。
村はずれにポツンと1軒の店があり、入るとかごやバッグ、靴などが置いてあった。
ふと見ると壁際の棚にはずらりと大きなガラス瓶が並んでいて、中にはミイラ化した蛇が、酒にほどよく漬かっていた。ベトナムで人気の中国土産なのだろうか。
店を出ると砂利道になっていて、向こうに川らしきものが見え始めた。そこまで来ると男は、
『俺が許可証を持ってるから、国境を越えて越南に遊びに行こう』と言う。
『で、でも、ここは確か第三国人には開かれてない国境じゃ・・・?通っていいのは、中国人とベトナム人だけでしょ?』
『大丈夫。喋らなけりゃ見た目はお前ら、日本人だとわからないから。・・・ノートを貸せ』と言って彼は、
「もし何か訊かれたら、北の方から来たと言え」と、メモに書いた。
確かに同じ中国国内でも、北と南では言葉が通じないのは知っているが、本当にそれで大丈夫なのか、兄ちゃんよ。
中国語に少し不安のあるあずささんが弱冠青ざめたが、男はかまわず前を進んでいく。やがて、国境警備の事務所らしき建物が見えてきた。
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《その十一》
事務所の手前で運転手は、
『俺の親類ということにしよう。黙ってろよ』と言い残して、建物の中に入っていった。
中には警備員であろう目のギョロリとした中国人がいて、男の許可書を確認してから私たちの方をじっと見た。
できるだけ目を合わさないように、自然に振舞う。
もうひとり通行許可を求めるおばあさんがいて、警備員はそっちに注意を移した。
戻ってきた運転手と、建物わきの小道を下る。
まだ喋らないまま、川にかかった橋を渡った。中国・ベトナムの友好橋の真ん中には線が引いてあり、そこが境界だった。
線をまたいだ。あずささんと違って国境の陸越えが初めての私は、密かに大喜びだった。
ベトナム側に入ると、今度は小道を登ったところに事務所があった。運転手はまた、私たちをおいて建物に入った。
あずささんと目で会話する。
そこも無事、通過することができた。ベトナム側の警備員は、にこやかに私たちに手を振った。私も笑って手を振り返した。
道は続いていた。
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《その十二》
もう大丈夫だろう、というところまで来て、やっと言葉を発することができた。
まさにここはベトナムだった。建物の壁に書かれた文字は漢語とベトナム語が混じっている。
まさか今日、歩いて国境を越えることになるなんて思いもよらなかった。しかも、こんな経験をした日本人も少ないだろう。 なにしろ、事前に許可証を持った中国人と知り合いになって、しかも中国人ではないということがバレないように、さり気なくここまで来なければならないのだ。 運転手の男は、ちょっぴり得意気な我が物顔で、道の真ん中を歩いている。よくここに来たりするのだという。
道は、ベトナム側の小さな村へと続く。 途中、何人かの民族衣装を着た女性たちとすれ違った。山岳民族に国境はない、と何かの記事を読んだことがあるが、独自の文化や言語、そして風習を持って自給自足している彼らにとって、国単位の法律など、あまり意味のないものかもしれない。
しかしやはり、今は近代化の進む都会からの影響は大きく、失われていくものも少なくない。 それは日本も同じで、受け継がれるべき古き良き伝統の多くは、時代の陰になってしまいつつあるような気がする。 土産物屋がいくつか軒を連ねていたので、中に入って民芸品の竹籠などを買ったりした。
集落は小さく、すぐ村外れまで来てしまった。 『帰るぞ』と言われ、 「非常快楽了」(すごく楽しかった)と、来た道を引き返す。 帰り道にさっき事務所にいたおばあさんがいて、運転手と言葉を交わしている。
どうやら、こっちにちょこっと買い物をしに来ていたようだ。 |
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《その十三》
帰り道の友好橋の上で、運転手は 『日本の本田はいいぞ』
と言った。
『ホンダ好きなの?今アジアで有名だよね。越南でも。』
と言うと、
『越南のはバイクだろ。俺のもう一台の車が本田なんだ。』
『ふうん、そうなんだ』
この人は、すごく車がすきなんだろう、と思った。
それから、日本のことや自分のことを話してくれるくらいに、少しこちらに気を許してくれたのかもと思った。
国境事務所を過ぎて、少し先を歩いていたおばあさんが
『ベトナム散策はおもしろかったの?』
と訊いてきたので、
『とてもおもしろかったですよ』
と答え、近くにあった売店で、帰りの車で飲むための飲み物を買った。
窓を全開にして強い風に吹かれ、今日現在に到るまでの感慨にふけりながら、帰路についた私たちだった。
来る途中に手を洗った湧き水のところへ着くと、運転手は顔を洗い、車に戻るとまた残りの道を金平へと向かって黙々と走った。
町外れのタクシーの停留所に着いた。
まだ日は明るかった。滅多にできない経験をさせてもらったこともあり、私たちは彼に100元札を渡した。
すると彼は、少しためらいがちにそれを受け取り、
『これ、もっていけ』
と、残りのマンゴーを全部くれた。
その日の夜はあずささんと、朝市場のあったところに開かれた夜店の野外「金平風バーベキュー」を食べ、今回は行かなかった雲南省「大理」産のビールを買ってきて、ホテルの部屋で祝杯をあげた。
ビールを飲みながら、あの運転手がついこの間までとても好きだった人によく似ていた、ということをふと思い出した。
次の日は小さな金平の町の散策と買い物に明け暮れた。
そして、昆明に戻る夜行バス出発時間直前まで、昨日もらったマンゴーを、ふたりで無心にむさぼり食べたのだった。
劇終
追記:(昆明に戻ってから)
早朝、とりあえず停留所のドアなしトイレに8角(12.8円)払って入り、身支度を整えた後、私たちはタクシーに乗った。
午前中、私の予約していたホテルで朝食・休憩をとり、午後からは一旦バンコクに戻って次はホーチミンを目指すあずささんを送りに、空港へ向かった。
こうして2002年6月1日に約束された、Cha-minあずささんとのコラボレーションは幕を閉じ、人生の宝物がまたひとつ増えた私は、14日北京発関空行の復路航空券を持って、ひとり昆明に残った。
北京までは、大陸鉄道に乗って帰ろう、と決意を固めながら。
おわり
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