![]() |
|||||||||
| 12月7号 星期日 | |||||||||
| 着ていた服を洗って、洗面所にぶら下げた。 さっきまで部屋には友人親子がいた。歯を磨きながら、前の壁一面の鏡を見る。今日という一日にも夜が訪れた。 今朝は8:30に家を出発した。ガラガラと音をたてながら、久しぶりのスーツケースを引いて歩く。 9:03名鉄稲荷口から金山まで行き、犬山経由の急行新岐阜行きに乗り換えた。10:24に西春に着き、名古屋空港行きのバスに乗る。 3階の団体カウンターで、予約していたチケットを受け取り、出国審査を受けて搭乗口を目指した。 私が国際線に乗るときの楽しみは、客室乗務員さんの身のこなしの美しさや機内食のメニューであるが、中国の航空会社の機内食は間違いなく美味しいのが嬉しい。 中国国際航空北京行CA160便は、北京国際空港に降りた。ボールペンを忘れ、機内で入国カードが書けず、入国審査が遅くなった。時計を見ると、すでに16:30をまわっている。 荷物を受け取り、中国銀行の自動両替機にトライ。4万円の両替を3回に分けて行ってしまったため、手数料を15元もとられてショック。続けて札を投入すれば、5元で済んだというのに・・・(涙)。今日のレートは1円=13.3元 空港バスで「公主墳」を目指し、そこからタクシーを拾って友人の待つ語言文化大学の会議中心へ。 友人と4才になる友人の息子が待っていてくれて、夕食を食べてから宿泊手続きをし、キーをもらって3人で部屋へ。久々の再会を喜んでいると、時間が遅いので心配した彼女のご主人から携帯に電話が入った。 彼女は自宅最寄の路線バスの番号と地図を書き、明日会いましょう、と言って去った。 |
|||||||||
| 12月8号 星期一 | |||||||||
| 9:00に‘公共汽車’に乗り、30分ほど離れた友人宅に向かった。 12月の北京は骨までくる寒さで、それはもうダウンコートなしには街を歩けない。 息子を幼稚園に送り出した彼女は、お迎えの時間まで仕立て屋巡りにつきあってくれると言う。 日本から持ってきたメキシコの手織布を、帰国するまでの間にバッグにしてくれる店を探さなければならない。サンプルと布を入れた大きなスタイリストバッグを抱え、彼女のマンションを出た。北京の女性には珍しく専業主婦の形をとっている彼女は、元々日系の企業に勤めていて日本語も達者だ。昨日つけていたペンダントは、ご主人がオーストラリア出張でお土産に買ってきたというオパールとのことだった。 トロリーバスで一時間。車窓から中国の町並みを見るだけで嬉しかった以前とは少し違って、仕事となると今は多少話が違う(^^;) 降福街を抜けて今日の目的地「東四」に着いた。 生地屋のビルに入り、バッグに入れて日本から持ってきたサラペスを見せて、下見・交渉。 大通りを渡ったところにある2軒目の大規模な服地屋で、各ブースの仕立て屋に見積もってもらう。帰国までに、あるだけの布でビッグマウスバッグを作ってもらわなければならない。 当初の予算をオーバーする見積り。その日はそのまま帰路に。 21:00くらいまで寝て、1階の売店へ下りていき、水とスプライト、ビスケットとプリッツ、カップ麺を買った。 |
|||||||||
| 12月9号 星期ニ | |||||||||
| 今日はひとりで近辺を散策。(自動車学校と家事で、友人が出てこられない) 昨日思ったが、布から服を仕立てる人は大概、よほどの裁縫好きかオリジナリティを求めるお金持ちだろう。北京(都会)の一部の人は、お金を持っていない人に対して冷たい。 スーツを着た仕立て屋の兄さんも、弱冠薄汚れたダウンコート姿の私を、最初のうち訝しげに見た。私が日本人だと知ると、「俺らの裁縫代なんて、日本ではラーメンを食べるくらいなんだろ?」と言った。 ・・・実際お金さえあれば、何でもできる。それが全てではないが、全世界共通、持っている人ほど偉いらしい。 オリンピックを控え、街の整備や建物の建設に、地方からの労働者が多く入って来ている。彼らはこの街で働き、稼いだお金を故郷の家族へと送るのだろう。 路番の頭に「8」のつく公共汽車は、3元だけれどエアコンがつき、きれいな椅子に座ることができる。乗り心地が快適とは言えないトロリーバスは、距離にもよるが1元からだ。(昔は0.5元だった) 学内の宿泊施設周辺を見て歩いた。 アラブ系の食堂で羊肉のサテ、それから売店で面包(パン)とイチゴ牛乳を買った。 南門のところにある小さな仕立て屋にも行ってみた。ちょうど工事中で、親父さんはヘタクソな漢語の商談を聞いてくれた。まだ10代と思われる娘は、あまり私に関心がなさそうな感じだ。 持ち手の布を揃えてからまた来ます、と言って、そこを後にした。 学内の超市(スーパー)で、ヨーグルトとパンを購入し、その足で門を出て一番近くの大きな超市を散策。 13日には大学を出て、もう少し安い宿へ引越し予定。 |
|||||||||
| 12月10号 星期三 | |||||||||
| 部屋を9:00に出発したものの、雪の舞う中バス停で地図とにらめっこ。時刻表を見ながら行き先を30分悩む。吐く息はもうもうと白く、危うく凍え死にしそうになった。 北京西駅に行く予定を、乗り換えの都合で西単に変更。1回の換車で2元×2、目的地までの所要時間は約一時間。面積の広大な北京市は、どこへ行くにも一日がかりだ。 以前よりもグレードアップした若者の街、西単。デパートに入り、とりあえず弟たちにそれぞれ似合いそうなコートを買った。お昼は屋台の鳥串で済ませて、最上階の中国銀行で3万円両替。 デパートはさすがにいろいろなものが溢れているが、価格も高め。ふと見ると、昨日の超市にあったものと同じ壁飾りに、2.5倍の値段がつけられていた。 少しでも言葉が喋れるとなると店員の態度も違ってきて、ときに親切にしてくれるのがありがたい。 外に出たところでタコ焼きらしき屋台を発見。 懐かしくて列に並んだところ、目にしたのはテンコ盛り大サービスのわさび。いや、それは間違っているよ、とは言わず、穏便に列を離れた。 この日は目をつけていた民芸品店で値切り倒して仕入れ。 |
|||||||||
| 12月11号 星期四 | |||||||||
| 9:00出発、友人宅ヘお邪魔し、106路に乗って午前中は仕立て屋へ。 正午、友人の知り合いたちと落ち合い、クリスマスのデコレーションが美しい、大きくて立派なトレードセンターの食堂街にある吉野家へ。 牛丼レストランはこちらでは珍しく、比較的高いわりには繁盛している様子。 久々に日本を離れて思うことは、何かをがんばった先にあるもののために、人は生きているのかも知れないということと、焦らず成り行きに身を任せてもイイのではないか、ということ。 それからイヤな予感がするときはあやふやにせず、皺寄せが来ないように無理はしないこと。 謙虚さを失わず、かつ大胆に自信を持てるようになれたらいいのに。 友人の知り合いは、ひとりは従姉妹のお姉さん(以前私が昆明でお世話になった方の妹さん)で、そのお知り合いの女医さんと何だかわからないけれど偉い役職のおじさんの3人。 久しぶりに雲南から北京に出てきた従姉妹のお姉さんを歓迎する会合に、私も混ぜてもらっている状態だ。 会話の五分の一もわからないけれど、SARSで大変だった話や息子がいい大学に入った話などが一通り終わり、免許とりたての女医さんの外車的マイカーに乗って、場所を移動した。 お金持ちに限るけれど、個人で車を所有し、環状線を使って市内を移動することができるのだなあ、と車窓から高層ビルを眺めながら感心していると、やがて「紅橋商場」に到着した。 友人が私の仕入れのために卸売り市場へ向かってくれたのだった。 5人で中央のエスカレーターを登る。 建物の中の各ブースには小さな店がひしめき合い、装飾品や七宝焼き、衣類、バッグ、日用品にいたるまで、たくさんの商品を販売していた。 商品に値札はなく、買い手の交渉の腕次第で安くなるという仕組みだ。 こういうところで大概の外国人はボッタくられ、頭に来て売り手に怒鳴り散らしていたりする。 早速ひとつの七宝焼き屋に入り、壊れていなかチェックしながら色柄がきれいな小物入れをまとめて選び始めると、私を置いて他の4人は商場内を散策に行った。 ちょうど買い終わる頃に戻って来てくれたので、そのまま皆で建物の外に出た。 せっかく北京に来たので香山公園を見たいと従姉妹のお姉さんが希望していたため、女医さんの車でそこへ行くことになった。 郊外にあるその公園まで、かなり飛ばして一時間半ほど。13:30に市内を出たから、到着は15:00くらい。 着いた途端に友人はバスで自宅にとんぼ返りすると言った。子供ちゃんの幼稚園のお迎えに間に合うように帰り、ご主人と私たちの帰りを待つと言う。 他の3人は一切日本語を喋れないこともあったし、自分も一緒に帰ろうかと言ったけれど、「せっかく来たのだから、観光も楽しんでください」と友人が勧めるので、そのまま残ることにした。 年下の私は門票(チケット)を買っていただいて、小高い山の頂上を目指すコースを歩き始めた。皆気遣って、簡単な北京語で話し掛けてきてくれたので、何とか会話しながら、延々と続く石畳の坂を登った。 気温は冷たいけれど、歩くうちに軽く汗ばむほどのいい運動だ。 上に行くほどに景色は北京市内を一望でき、夕暮れの太陽と自然と街の様が何とも美しかった。 17:30に香山公園を後にして、一時間半かけて市内へ。 携帯で連絡をとりつつ夕食の予約をしてある大きなレストランへ到着した。 豪勢なメニューで団欒の中華。店内は賑やかで、出てくる料理も珍しい。便乗させてもらえたとはいえ、この場にいられることが何だか嬉しかった。 友人の息子が元気にはしゃぎまわっている。彼は私を「シアスアーイエ」と呼ぶ。「アーイエ」は「おばちゃん」という意味なので、できるだけそうは呼んでほしくはないのだけれどショウガナイ。 愛らしいものの名は2度繰り返すのが中国式なので、私は彼のことを「ノノ」と呼ぶ。 頼むから私も「スース」と呼んでくれ...! 前回お会いした時ご主人が作ってくれた手料理がとても美味しかったので、それを忘れませんと言いたくて、友人に言い方を尋ね、彼に「忘不了」と伝えた。 ノノちゃんと言葉遊びをしながら店を出、お礼を言って皆と別れ、バス停に着いた。 すでに末車は出ていたので出租汽車(タクシー)を拾い、売店で翌日の朝食用にマフィンを買って部屋に戻った。 |
|||||||||
| 12月12号 星期五 | |||||||||
| 11:00にチェックアウト。デポジットで支払っていた260元が戻ってきた。12:30に「中国国際展覧中心」で友人と待ち合わせだから、ぼちぼち行けば間に合う。 サムソナイトのドでかいスーツケースを引きずりながら校門を出たとたん、ボッタクリタクシーに掴まった。 『小姐、どこに行くんだ?展覧中心?ああ、それなら40元でいいよ。乗った、乗った!』 こっちは市内地図を見て距離もだいたいわかっている。公主墳からここまでが20元だったのに、何で40? 「貴、我知道。不要。」 お断りしてその場を去った。 バスで行ければ一番安上がりなのだが、何せ荷物が重いためひとりで乗せる自信がないし、きっと乗り換えもままならないであろうから仕方ない。 道で普通の出租を止めた。 交渉すると、20元ちょっとで行ってくれるとのこと。トランクに荷物を入れて、助手席に乗り込んだ。 そこまではよかった。 しきりと話し掛けてくる運転手で、最初はちゃんと返事をしていると、彼はこんなことを言い出した。 『オレは最近日本のビデオを見たんだ。知ってるか?女教師と生徒の話さ』 「?」 ドラマでやっていた松嶋奈菜々子の魔女の条件≠ュらいしか思い浮かばない。 『どんな話ですか?』 訊くと、オヤジは調子に乗って語り始めた。 『女教師が男子生徒と恋をするんだが、男子生徒の彼女が怒り狂って、女教師を呼び出して縄で縛って裸にして、写真を撮って・・・』 「・・・。」 それは俗にいうエロビデオというやつでは? 真面目に聞く気も失せて、適当に相槌をうっているうちに展覧中心に到着した。 延々と変な話を聞かされてひどい目にあったが、約束の時間には間に合った。 友人は約束時間の5分前に来た。ホテルを紹介してくれる人に携帯で連絡して、近くの大きな飯店の前で会うことになった。 しばらくして、20代後半の中国人男性が現れた。名刺を見ると、「中国家庭旅館」とある。 展覧中心から10分ほど歩いて、大通りから少し入ったところにある団地の門をくぐった。建物は古く、もちろんエレベーターなどない。 自分のことを「苗先生」と名乗るその男が、3階までトランクを運んでくれた。彼は普段は携帯ショップに勤めているらしかった。要するに、物件の又貸しで、ホテルよりは安い価格で外国人から宿泊料をもらい、ビジネス(小遣い稼ぎ?)をしているようだ。 友人は、メール広告でこの人を知り、私に教えてくれた。バカンスの旅ならホテル代も奮発するが、仕入れの旅はそうはいかない。 部屋がふたつと物置がひとつ、ベランダに台所、トイレとシャワーがあり、お湯も出ることを確認。少しでも安い宿の方がいいため、残り7日はここに滞在することに決めた。場所的にも第2環状線の内側だから、中心街に少し近くなる。 最終日には円が必要なため、デポジットに1万円札を渡し、宿泊代は元で支払って領収書を書いてもらって契約を済ませた。鍵は18日の朝に回収にくるとのこと。 苗先生は去り、部屋を出て友人と付近を散策した。時間は15:00を過ぎていた。 十字路の角に、少し大きい商場があり、1階には食品、2階には生活雑貨等の売り場になっている。 「昔、ここにも来たことがあります。」と、彼女は言った。結婚してすぐくらいにこの近くに住んでいたことがあるらしかった。 エスカレーターを上り、フロア内を見て周っていると、何と奥のほうに仕立て屋さんを発見した。 「あ!ここで作ってもらえるかもしれない!」 さっそく、その仕立て屋の師父(親方)と値段交渉にかかった。友人がいてくれるときは、全く言葉で困らないので助かる。 ひとつ試作を作ってもらうように注文を済ませ、友人は息子を幼稚園に迎えに行くべく帰路についた。 バス亭まで見送り、帰り道にある外資系の大型スーパーでシャンプーやヨーグルト、チョコレートなどを買って新しい部屋に戻った。 部屋には大きなワイドテレビがあり、寝室にはダブルベッドが置かれていた。ちゃんと冷蔵庫もあるが、テレビ以外は簡素で、本当に普通の家だ。 いつも泊まる大学内のアパートは掃除が行き届いていて、外国人慣れした事務員がいて、なにより安全なのが再認識される。この部屋には扉が2つついてはいるが、いちいち鍵が面倒くさい。 師父が2時間ほどで出来上がると言っていたので、頃合を見計らって仕立て屋に行き、サンプルを受け取ってきた。 作ってもらったバッグは表裏の柄が合ってなくて縫製も少し雑でシワもそのままだった。 う〜ん、これじゃ売り物にならない。 中国と日本では、感覚が違うのだ。はやくカタチになればいいってものではない。 多少お金が高くなっても、東四で作ろう。安いからと言って、品質のレベルを落とすわけにはいかない! |
|||||||||
| 12月13号 星期六 | |||||||||
| 疲れていたのか、眠ったと思うと何度か目が覚めた。 朝からシャワーを浴びて洗濯。お湯を沸かして、朝食を食べた。 テレビではアメリカの映画をやっている。タイトルは《目標》、もちろん中国語吹き替え。笑 気が重いまま仕立て屋の親方のところへ。昨日預けて来た布を取りに行かなければならなかった。 説明を考えて書いて来たノートを見せながら、職人さんのプライドを傷つけないよう、丁重にそこでの製作をお断りした。 明日は友人に聞いた郊外の刺繍丁へ行ってみよう。 とりあえずお昼になったことだから何か食べようと、大通り沿いのマクドに入ったものの、人が多くて注文できず、散策を続ける。もうひとつ小さなデパートを見つけて入ってみたが、庶民的な感じ。銀行もみつけたけれど、今日は休み。 もう1件マクドを発見。中国のマクドは美味しいが、比較的高い。 加油!あと6日。今日で旅の半分。 近くにコンビニも発見。ビールとカップ麺、特大ボトルの飲料水を購入。今日ははやく寝よう。 |
|||||||||
| 12月14号 星期日 | |||||||||
| 9:00出発。雍和宮まで行ってみる。 周辺を見てみたが、得るものはなく807路で東四へ。地図を見ながら大新まで辿り着き、内布を買って試作品の縫製を頼んだ。 まだ時間は12:00。ここまで来たなら、少し遠いけれど友人が教えてくれた刺繍工場に行けるかも知れない。 そのまま802路で成寿寺路北口を目指す。思っていたとおり、とても遠い。 バスの中で車掌さんが親切にしてくれ、同じところで下りるオジサンを紹介してくれたのはありがたかったが、オジサンに従って歩いたおかげで道に迷い、一度大通りへ戻った。 タクシーに乗って、目印の中学校まで行き、近くにあった派出所へ飛び込んだ。 日本と違って中国の公安の職員は態度が優しくないのがツライ。変な外国人が来たな、と半笑いだったが、ジープで工場まで送ってくれた。 工場の入り口に立った。 ここまで来て逃げ出すわけには行かなかった。腹をくくって、門をくぐった。 実際今日営業しているのか、誰に掛け合えばいいのかも知らないで突然来たのだから、追い返されても当然ではあるが、そんなことは深く考えず、作業場へ入って行った。 作業場にいた女の子たちは、私が日本人だとわかると、敷地内の奥にあるプレハブの建物へ連れて行ってくれた。中では40代後半の女性がソファで昼寝をしていたようだった。 突然の訪問にたたき起こされた彼女が、何事?とこっちを見たので、 『すみません、お尋ねします。話を聞いていただけますか?』 と、持ってきたノートとペンを出し、工場長と思しきその女性に向かって行った。 状況を把握した彼女は、私を部屋に通してくれて、話を聞いてくれた。 若い頃きっと美人であったろう工場長は、目にとてもチカラがある。英語を喋れるスタッフも連れてきてくれたが、私は英語が中国語よりも喋れないときているので、その人に出番はなかった。 工場長室の隣の展示室で作品を見せてもらいながら、 ヘタクソな北京語を少しでも補えるように辞書を調べて書いてきた質問事項を見せつつ商談。 持参したデザイン画で版を作り、ロットを決めて、縫製と材料費を含めた見積りを出してもらうことができた。 ひととおり話が済み、展示室のものをいくつか買わせてもらって、お暇しようと思っていたら、工場長が ちょうど市内へ行く用事があるとのことで、(運転手付きの)自分の車へ乗せて行ってくれるとのことだった。彼女が先に乗ってから自分も乗って、彼女が先に下りるとき、知っているうちで一番丁寧なお礼の言葉を述べた。 運転手は展覧中心の近くで私を下ろし、去っていった。 工場長は、すごい。あんな女性になりたいものだ。 『今度来る時はアポイントをとってから来なさい』と、名刺ももらったから、滞在中に友人と一緒にもう一度行こう。 私にとって2003年は「飛躍」の年らしかった。行き詰まって悩んで小さくなっていた年明けの頃の自分を思う。今年1年で、今日が一番自分を好きと思える1日だったことに間違いない。 展覧中心の近くに聳える大きなホテルに立ち寄った。ホテル内のショップで留学生を装いつつ、店員さんと喋りながら、市場調査。 商場ではるまきを買って一度部屋に戻ってから、一番近くの公衆電話に行き、友人に電話をかけた。 大新で頼んだ試作のバッグは明日の午後できあがる。 |
|||||||||
| 12月15号 星期一 | |||||||||
| 今日はとにかく買ったものを送らなければならない。 大荷物を抱え、国際展覧中心から18路公共汽車で雍和宮、換車116路で東四。 郵便局で日本へ郵送の手続き。ため込んでいた商品を全て航空便で発送した。 大新に着いてから、先日一番安い見積りを出してくれた店へ直行。 前回とは別の、冴えない感じの男性と商談。 イマイチこっちのニュアンスが伝わっているか不安に思っていたところへ、前回のラーメン兄さんがやってきて交代した。この兄さん、思ったことは容赦なく言うが、器用で商談が上手い。こちらも期限内に作らなければならないから、ある程度物事がわかるプロに任せたいところ。 試作も問題なかったので、この店に頼むことに決めた。 全てのバッグの仕上がりは18日(帰国前日)。 店を出て、その足で紅橋まで向かい、新たにアクセサリー類を仕入れた。 まだ未熟なため、上手く値切れず悔しい思いで帰路に。 この日のレートは1万円=758元。 |
|||||||||
| 12月16号 星期ニ | |||||||||
| 9:30展覧中心で友人と待ち合わせ。 名刺の番号に電話してもらってアポイントをとり、ふたりで環状線まで出て、小公共汽車で刺繍丁を目指す。バスを乗り継ぎ、やっと工場についた。 工場長は来客中で、友人と展示室で待つ。 友人の通訳で、刺繍の版代や制作費について詰める。商談はスムーズに済み、サンプルがいつ受け取れるかや、入金方法なども決まった。 12:00には帰りのバスに乗り、適当なところで下りて、昼食に小龍包子を食べたが、上海で食べるよりは美味しくなかった。 その後FEEL100%で参考にコートを見て、友人と別れ、バスで展覧中心まで。 友人にだんだん甘えてしまって日本語で喋るのはいけない。負担をかけてしまわないようにしなければ。 5:00帰宅。テレビを見ながら休む。明日は王府井に行ってみよう。 食後にシャワーを浴びたら、途中でお湯が出なくなって危うく風邪をひくところ。 ここで倒れるわけにはいかない。コートを着て就寝。 |
|||||||||
| 12月17号 星期三 | |||||||||
| 10:00出発。 財布の中身を確認。102支に乗って1元で王府井大街に到着。 中国銀行で換金。レートは1万円=761.6元。 驚くほど様変わりした光景に圧倒された。この街は物価も恐ろしいほどに高い。 歩きつかれて13:00にケンタでハンバーガーと和風サラダを食べる。 帰りは110路に乗り、左家庄で120支に換車。 市場でアクセサリーを少し仕入れ、部屋に戻った。 と、一息つく間もなく、椅子からコケそうになった。 やばい、リコンファームしていない!「出発前72時間」を過ぎているじゃないか。 以前上海でリコンファームができなかったために予約を取り消され、飛行場でひとり次の便を待ったことがある。 のんびり紅茶を飲んでいる場合じゃない。とるものもとりあえず、走って一番近い公衆電話へ向かった。 チケットを見ながら、航空会社の係員に復路便の日時と事情を説明するが、向こうの言うことを聞き取れず、日本語のできるスタッフに代わってもらった。 滞在日数を増やすだけの気力もお金もなくてかなり焦っていたから、それに対応する方はたまらなかったかも知れないが、たまにはこんな日本人もいるはず(^^;) なんとかOKと言う言葉を聞き、安心して、パン屋に寄ってからゆっくりと帰った。 |
|||||||||
| 12月18号 星期四 | |||||||||
| 最後の1日、勝負! 10:30雍和宮で乗り換え、東四まで2元。思ったよりはやく着いたので、周辺の店を見て回る。 高級ブティックやら携帯電話ショップやら、統一感なく軒先を連ねている。 チョット今どきでイイ感じの店をみつけ、自分用にジャンバーと、布屋に行って頼まれものの布を5m購入。 大新に行き、仕上がりのバッグを検品し、残りの支払いを済ませて、大荷物と共に外へ。 手土産のケーキを買い、美術館前からトロリーバスで友人宅へ。 仕上がったバッグを見せて、お茶をいただいたあと、映画を観にいくことになり、コートを着て外へ出た。 有名な監督の最新作らしい「手機」(携帯電話)というタイトルの映画で、現代の北京をよく表していた。 映画館を出ると、ちょうどノノちゃんのお迎えの時間で、一緒に幼稚園に向かった。 一人っ子政策が緩和されつつあるとはいえ、大切な子や孫を迎えに大勢の家族たちが入り口でごった返していた。 品のあるきれいな幼稚園で、お昼寝用にたくさん並んだベッドが印象的だった。 帰りに寄った洋裁店に、ワダエミさんの写真が飾られてあった。 日本でも話題になった映画「英雄」の、衣装制作に携わったと店の人は言っていた。 一品料理のお店に入り、たくさんご馳走になった。相変わらずノノちゃんは元気に走り回っている。 マンションへ帰って荷物を取り、バス停までご主人に送ってもらった。 荷造りをしたらはやく寝なければ。明朝ははやい。 |
|||||||||
| 12月19号 星期五 | |||||||||
| 4:00にかけておいたアラームで目覚める。 身支度をして軽く朝食をとり待っていたが、5:30になっても苗先生は現れないので、手紙を書いて鍵を机の上に置き、荷物を1階まで下ろした。 15分遅れて苗さんがやって来た。 部屋を点検し終えて鍵を持ってきた彼にデポジットを返してもらった。 昨日の電話で友人にいろいろと言われたらしく、空港まで送るよ、と言って、彼は暗い中通りで出租を探し始めた。 大きなスタイリストバッグとスーツケースのせいで乗車拒否をされつつなんとか1台つかまえ、一緒に北京国際空港へ。 タクシー代も出してくれて、乗り場の確認までつきあってもらえて助かった。 90元の空港税を支払い、時計をみると6:30だ。 エアチャイナのカウンターに荷物を預け、5番搭乗口へ向かう。出国カードを書いて検査ゲートをくぐり、出発までの待ち時間に買い残したお土産を買った。 8:25北京出発。 隣の席に誰もいなかったので、ブランケットをかぶって横になり、しばらく睡眠をとることができた。 名古屋空港に到着すると、寒くない。ていうか北京寒すぎ。 バスを乗り継いで帰宅すると、時計は15:00をまわっていた。 おわり |